千葉ロッテマリーンズが日本一になりました。
では、エスパは?
最近全然勝ってません。健太監督退団は当然であります。
社長は「終盤の失速がその理由ではなく、もともと長谷川監督は今季限りと決めていた」とおっしゃいましたが、もしリーグ戦首位でがんばっていたり、ナビスコでも優勝していれば、そりゃ続投でしょう。サポーターが納得しませんよ。ということは、やはりこの結果だから退団、それでいいじゃないですか。
往年のテルやイチカワくんの退団も決まり、またそろそろ新監督も決まるようで、もうすっかり来年に向けてのチームづくりに興味が行ってしまいそうですが、まだリーグ戦も残りがありますし、天皇杯だってがんばって欲しいです。なんとしてもタイトルを取って欲しいのであります。
もう11月でございます。そろそろストフェスの季節でございますわよ。今年もよろしくお願いいたします。ワタシも21日の日曜日にスタッフの一人として参加予定でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
日本平スタジアムの芝生を間近で見れる企画があったんですよ。ベストピッチ賞ということでJリーグから何度か表彰されているそのピッチに、初タッチしました。ここでサッカーできたら楽しいだろうなぁ。
ところで『日本平』の語源について調べてみました。普段は普通に『日本平』と言ってますが、日本の平という、たいへん名誉といいますか、一番最初に言ったもん勝ちだったのかしらと恐縮してしまうほどの名前ですよね。
どうやらヤマトタケルノミコト(日本武尊)から来ているそうです。草薙神社に祀られている日本武尊、有度山界隈での伝説がいくつかあるわけですが、最もメジャーなのが草薙の剣の話で、その続きだと思うのですが、有度山の頂上で四方を見渡した、みたいなのがあるらしく、その場所を日本武尊の名前から『日本平』と呼ぶようになったそうです。日本坂トンネルの『日本坂』も同じ系統らしいです。
「庵原に汽車が走っていた」という話をしてくれたのは、仕事で出会った80歳になるお客様でした。終点には汽車の向きをかえるためのターンテーブルがあって、人が押して回したのだと教えてくれました。
非常に興味深い話をいただき、すぐにそれについて調べてみましたよ。
路線の名前は「庵原軌道」。大正2年12月から大正5年6月の2年半という短い期間、清水江尻から庵原金谷まで約5.5kmを走っていた軽便鉄道でした。
なぜ2年半という短期間だったのかというと、この鉄道会社を立ち上げた方が、他の事業で失敗し、その影響で廃線となってしまったとのことです。
だもんですから、「庵原軌道」の存在自体があまり知られていないのであり、ワタシもその話を聞いて、心躍ったのでした。
今後、その名残っぽい画像などを随時報告していきたいですね。
ちょっとした事故で8月後半のブログが消えてしまいました。それをワタシの記憶の限り、復活させたいと存じます。
まずは、8月の運動会の報告でございます。
前回、ワタシがリレーの選手に選ばれたことを紹介いたしましたが、その結果でございますが、予想通り、最下位でした。
ワタシは第6走者でしたが、第1走者から一度も最下位を譲ることなく、最下位を走りつづけました。
Butしかし、我が自治会の第1走者の方は、とても頑張ったんですよ。この方は31歳で、第1走者は「16歳から29歳の男」というククリだったので、周りのチームは、サッカーばりばりやってます、みたい若いのをズラリとそろえた中、喰らい付いてました。
Butしかし、じりじり引き離されていったことは言うまでもありません。
当初の目標である、ケガをしないで走りきる、は達成できました。少しさみしい目標ではこざいますが。
我が自治会が敗退したのは、予選です。予選を2回行い、そのそれぞれ上位3チームが決勝に進みました。
決勝は予選とは違い、マジ勝負!だもんですからやはり無理をしてしまうんでしょう、予選ではいなかったケガ人が出てしました。肉離れかアキレス腱断絶か。
とても暑い中での開催となった運動会。そんな中、非常に多くの参加者がいたことに驚かされました。たくさんの方々の参加があっての自治会ですので、ありがたいことですよね。
来年は、せめてビリ2になれるように、がんばろう!神戸。