
先日、藤枝に行った際に寄りました。
「国指定史跡・志太郡衙跡(しだぐんがあと)」でございます。郡衙とは、奈良・平安時代に全国の郡ごとに置かれた役所のことだそうです。志太郡衙は島田市、藤枝市あたりを治めていたそうで、全国に500くらいの郡衙があったそうです。
Butしかし、現在それらの郡衙の場所のほとんどは不明だそうで、そういった意味で志太郡衙跡は非常に貴重であるわけございます。行きたくなりました?
とてもきれいに整備されていました。駐車場はたぶんなかったと思うんですが、隣に大きくて新しい公民館があり、そこには広ーい駐車場がありましたので、きっとそこに車をとめても許してくれちゃうと信じています。
そこで勉強になったのが、もともとこの志太地区は、海に注がれる部分が湿地やいくつかの川に分かれて、広い入り江になっている地形だったそうです。だもんで、遺跡は少し小高いところにあるんだそうですよ。まだまだ知らないことがたくさんあるなぁ。楽しいなぁ。
本日、上司が大学時代の同窓会に出席するそうです。
京都の大学だったそうで、京都にて同窓会も行なわれるそうです。
50歳台後半の上司でございますので、同窓会に参加される方々も当然その年齢。クラスで一番美人だった女の子?も参加されるそうです。そういうの同窓会の一番の楽しみでいいですよね。Butしかし、自分も同じだけ歳を重ねていることを忘れないように、と忠告しておきました。
上司の学生時代はまさに学生運動真っ盛りだったそうですが、通っていた大学にはあまりそういうのがなかったそうで、そういう思い出はないそうです。それよりも「ロック喫茶」なるものがあったそうで、その思い出が強く残っているそうです。
ロック喫茶は70年代とかには各地に結構あったそうです。想像どおり、一般の人には入りづらいようなお店が多かったようですね。今もそうですがレコードとかってやはり高価で、学生などでは何枚も買えるものでもない中で、ロック喫茶に行けば好きなロック、知らないロックがたくさん聴けるぜベイベー、ということで流行ってたそうです。
自分も同窓会とか参加したくなりました。っていうか、大学時代のではタケダさんやともやくんにも結構会ってるし、あまり意味ないですかね。
2009年ももう11月でございます。年末年始なんてもうすぐですよ。今年何かやり残したことのある方は急いでくださいね。
11月1日鈴木秀典氏のお祝いパーティに、少しだけですが顔を出させていただきました。ワタシ個人としましては久々にお会いする面子が顔を揃え、豪華競演でとても楽しいライブになったようでございます。自分もがんばらなきゃなぁという思いを改めて持ったところでございます。
またさらに、そんな気持ちにさせてくれる場が、近づいて来ております。ストフェス2009でございます。
11月21日22日23日の3デイズ、今年も青葉シンボルロードを中心に開催されます。今年のワタシは音楽部門では出場いたしませんが、もちろんアート部門でも出場いたしませんが、会場に出没する予定でございますので、どうぞよろしくお願いいたします。
仕事の関係で伺ったお客様と、先の戦争の話をしました。この方は昭和初期生まれの方で、静岡空襲や清水空襲、清水への艦砲射撃を体験した話をしてくれました。
静岡空襲が昭和20年6月20日、住んでいた駿府城のお堀の近くの草深周辺は火に包まれ、防空壕を出て麻機方面に何も持たずに逃げたそうです。自宅は全焼、清水の親戚の方が様子を見に来てくれて、その親戚の家に身を寄せたそうです。当時の静鉄電車で入江岡まで行ったそうですが、空襲の影響で運動場前までしか動いていなかったらしく、そこまで歩いた記憶があるそうです。
そして清水空襲が昭和20年7月7日、その親戚の家も全焼してしまい、その後は近くのお寺に身を寄せたそうです。
さらにです。昭和20年7月31日には、清水市沿岸の駆逐艦(潜水艦という説もあり)から艦砲射撃が放たれ、清水市はさらなる被害を受けたそうで、身を寄せていたお寺の上を「ビューン!」と越えていく砲弾の音を今も憶えているそうです。
静岡空襲と清水空襲の話は知っていましたが(知っていたとはその事実を知っていたというだけです)、艦砲射撃まであったということは今日初めて知り、大きなショックをうけました。
自分が今住んでいる町が、何十年か前に焼け野原だったこと、当時多くの人々がそこまで迫ってきている死の恐怖から逃げ惑っていたこと、体験者の方々の話は重く、そして鮮明であり、我々の心に響きます。我々世代が我々の子どもたちの世代に、語り継いでいかなければと強く思いました。